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もやしの歴史

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2013.01.17

もやしの歴史はかなり古い!

 
もやしは、人類が、はじめて植物の種子が発芽することを発見し、それを発芽させることに成功したことから始まったとされている。
発芽の方法は、地域別 では、中近東地方(バルカンや西南アジア)、東部地中海沿岸から東方イラク地方、トルキスタン地方を経て、
中国地方にわたり、それが広く伝播したものとの説が有力である。種子から栽培する方法は、人類が、貯蔵できる食物を見つけだし、
それを常時供給するとともに、その種子を貯蔵することによって、共同生活を発展させる原動力ともなった。
 

わが国日本のもやしの歴史は?

 
日本では、平安時代に書かれた、日本で最も古い薬草の本「本草和名」(ホンソウワミョウ)に「毛也之」(モヤシ)として紹介されており、薬用として栽培されていたらしい。
また江戸時代の『和漢三才図会』(ワカンサンサイズエ)によると、黒豆をもやしにして、芽が五寸ほどの長さになったところで乾燥させ、
よく煎って服用すると、痺れや膝の痛み、筋のひきつりなどに効くと記されています。
もともと主に薬用として用いられていたもやしですが、明治末期頃から大都市に専業生産者が現れて中華料理店に納品されるようになり、
次第にもやしの風味が庶民の味として親しまれるようになってきたのです。
 

伝説?事実?いずれにしても必要な食べ物

 
・南北朝時代には、楠木正成が千早城や赤坂城で籠城の際、将兵に豆の芽を食べさせ敵陣の重囲に耐えたというもやしにまつわる話も伝えられています。
・新しくは、スエズ問題が起こった時アラビアに上陸した英軍が、野菜の欠乏に困り果 てた本国の栄養学者に救援を依頼した。
 本国で研究の上大豆を送り、これを「もやし」にして食べさせたという事実があります。
・ヨーロッパの中でもイギリスのもやしの消費量の伸びが著しいと報告されていますが、英軍での研究により栄養効果 が認められた過去の実績が広まってきているんですね。
 


 

 
もやしの価値を認めて、利用した楠木正成にちなんで、 私の家の庭には四国の山奥から運んだ楠木を植えています。
1年中青々とした葉で葉はしょうのうの原料になります。 虫がよらないので庭木に良いです。
栃木・福島あたりが北限という話を聞きましたが、 なぜか栃木の旧家の庭には楠木が多いです。
 
明治40年頃から東京、横浜、大阪、神戸など港のある大きな都市でもやしを作る業者が大きくなりはじめ、
その後、野菜の栄養価が大きく取り上げられ、清浄野菜とか近代的な食生活などが、台所を守る主婦の声としてあげられるようになって消費は日ごとに増え、
業者の数も増え、都道府県単位 の組合が四十有余を数え、一千有余の業者が出そろい『もやし』づくりの配置につくところまでのびてきました。
 
ところが、昭和21年から24年10月までの間は、原料の緑豆、大豆等の輸入が無い時代で、業者は仕事を休止しなければならなくなりました。
当時は皆が緑豆もやしの栽培であった。緑豆もやしは日持ちせず、その時代の夏にはもやしは無かったのです。
 
野菜類が少ない時代であって、農林省ではこの状態から抜け出すために、ただちにアメリカ産の緑豆の売り渡しなど、・・・・
もやしづくりは暫く陽の当たる場所を見い出すようになり、苦しい時代に堪える力がつきました。
 
業者がお互いに連絡して組織を固める力をやしない続け、共同組合を作り、更にこれを工業組合に移行するなど、
全国的な組織作りに力を注ぎ、今日のように全国的な大きな団体となり、原産地との直接取引きなども行われ、原料の仕入れに心配のない『萌づくり』が出来る時代になっています。
 


 

「もやし」の名前の由来は?

 
芽が「萌え出る」こと、若い芽がぐんぐん伸びていくという意味から、その名が付いたのです。

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